青邨の句集を読む
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炎天の薬舗薄荷を匂はする 

 (昭和16年作)

満州花鳥(三十三句)の中の一句。

 「満州は殺風景な単調なところで、冬は枯野、夏はたださみどりの草原、冬は長く寒く、夏は短く暑く、あまり愉快なところではない。」『草庵春秋』の中で青邨はこう語る。自註によると薬舗があるのは大連からバスで一時間ばかりの金州という所だそうだ。日清戦争の時に子規が従軍してここに滞在したという。この日も暑い日だったのだろう。炎天下の薬舗、屋内で薄荷を精製しているところだろうか。ぎらぎらと焼けつくような夏空、耐えがたい暑さの中で香り立つ薄荷である。戦前、薄荷は日本の統制作物として管理され、輸出品として外貨獲得に大きく貢献していた。中国に薄荷の精製方法を伝えたのも日本だ。


『草庵春秋』からもうすこし引いてみよう。

泥濘の馬車(マーチョ)舟のごとく蓼の花

この句は私の句だが、この夏、満州に行った時に出来たのだ。一箇月ばかり大連からハルピンの間を方々歩いたのだが、句を作るのが目的ではなかったので、仕事に追はれて、毎日忙しくて、思ふやうに作品が得られなかった。然し汽車とか馬車にゆられてゐる時など私の詩情がゆくりなくもよみがへってくるのであった。私はどんなにか、さういふ時をいつくしんだかわからない。そんな時、ぽつりぽつりと句や文章の種を手帳に書きつけた。一箇月近い旅のうちにはそれがニ十句三十句とたまってゐて、この間「俳句研究」に発表したのであった。この句もその一つだが、秋櫻子兄が特に好きだとほめて呉れたものである。
―中略―
今までの満州の人達は満州はあまりに殺風景で単調で俳句が六ケしい、出来ないと喞つて居た。このことは誠にさうであって、同情に堪へないことであった。気候寒冷で不毛の地が多く、動植物の種類も少なく歴史的材料も文化的材料も乏しいのであった。そしてそこには勿論、さびもしほりも幽玄もないのであった。俳句が六ケしいのは当然であった。不用意にも伝統も歴史もさびしほりもないところに日本俳句の概念を以て直に臨んだのだった。このことは極めて重要な反省すべき事項である。
―中略―
私は俳句行脚を目的とした旅ではなかったけれども、大連、奉天、鞍山、ハルピン、新京など方々で俳友に歓迎され、俳句会にのぞんだ。―中略―俳句ほど土に關聯ある文学はなからう。土地に親しみ、土地に根を張るものであって、それこそ土の文学と呼んでいいかもしれない、自然の風物に親しみ、寒暑に心を労し、それを楽しみ詠ずるのだ。あの春秋の二季に襲い来る霾はとても大変なものだが俳人はこれさへも親しみを以て句を作っているのだ。況や野の花、野の鳥などに對しての愛着は言はずもがなである。土に根を卸し、自然に親しむ俳句文学こそ尊いものと思ふ。郷土文芸が満州の俳句として先づ現はれることは吾々の最も喜びとすることであり、期待することである。

ちなみに〈泥濘の馬車(マーチョ)舟のごとく蓼の花〉は満州花鳥(三十三句)には収録されていない。
旅の途中、ハルピンホトトギス俳句会主催の紀元二千六百年記念俳句大会に出席し、「歴史なき山河」というタイトルで講演もしている。ホトトギスにも掲載された一文である。掲出句を含む三十三句の前書「満州花鳥」という言葉に満州における俳句文芸活動成就の願いが籠められていたこともわかる。調子の張った文章である。大戦前夜の不穏な空気が倍音として聴こえてくるようだ。              (玲子)
 【季語】 炎天 夏
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# by zassoen24 | 2016-06-17 15:14

草むらに蓮池の端來てゐたり

昭和16年作

「滿州花鳥(三十三句)」と前書のある連作群の三句目。

 前書はあるけれど、この句に関しては殊更<滿州>を云々するには及ばないと思う。
句の情景は平明で、<道すがら、草むらに行き当たった。まとまった雨でも降ったのだろう、気が付くと蓮池の水嵩が増していて、足元の草むらを浸していた>ということ。至って簡潔である。けれども、読み返すうちに、何気ない句の姿の中にも、季語に対する挨拶がキチッと詠み留められているなあ、と感心する。

 蓮池の水嵩が草むらを浸すほどに増すということは、取り立てて特別のことではない。けれど、草むらに立つまでは、先生としてもさほど予想はしておられなかったと思う。そこに立ってみて初めて、<ン?>と思う。少し見上げた視線の向こうに、ハスの花が見て取れる。<はは~ん、蓮池なんだ>と事情が呑み込める。多分この<はは~ん>が発想の元になっているのだろうけれど、この時先生のオブザーベーションは、目の前の風景と同時に、ご自身の心の動きにも向けられている。「ゐたり」には、気が付けば少し先にひろがっていた蓮池に、「やあ」と声をかける心持も映り込んでいるだろう。「挨拶」に、自分の立ち位置は欠かせない。

 後年先生は、<俳句は「私」である、自分の行為である、それであればこそ些末なことでも価値があるのである>(「複雑さの克服」)と述べておられるけれど、「ゐたり」は、蓮池へのご自身の、軽い驚きを伴った挨拶心を、過不足なく言い表しているように思う。 一句の中にご自身の立ち位置を詠み込んで、句の姿に綻びがない。

 さりげない句だけれど、俳句のあるべき姿を示す、滋味のある一句だと思う。

 <季語>蓮池(夏)。(潔記)

 
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# by zassoen24 | 2016-04-12 20:17

この原に松枯らしたり雲の峯

昭和16年作

先行する四句、
 
 雲下りて咫尺のあやめ消ぬべくも
 雲の脚あやめの花に渦つくる 
 雲霧に悲風女蘿(さるをがせ)白綠に
 雲とんで影おとす菖蒲濃く

がある「戦場ヶ原(五句)」の五句目。

 前書に「戦場ヶ原」とあるので、先生は、土地への挨拶ということも考えられたのではないかと思う。それをどう形にするか・・・。 あやめや菖蒲に影を落としていく雲に目をやり、時には肌に悲風を感じながら、ゆるやかに「戦場ヶ原」を歩いていく先生。眼前の<今・ここ>を丁寧に詠み進める四句目までの流れには、どこか、

 をみなへし又きちかうと折りすゝむ

の風情が漂ているようにも思える。

 <写生>を通して、ある歴史を秘めた土地へ静かに分け入りながら、それを手掛かりに、五句目に至って、詠みぶりが一転する。
 日常とは少し離れた時間の経過を思わせる上五中七に導かれて、「雲の峯」は、大きな時間の流れの果てに、「戦場ヶ原」の来し方すべてを偲ぶよすがとして、<今・ここ>にある。下五の後の切れは、そんな感じを抱かせる。
 それまでの流れの中にあった<雲>を、「雲の峯」という季語に置き換え、そこに切れが入る句の立姿は、やはり四句目までとは違っている。 喩えが適切ではないかもしれないけれど、長歌の後の、一句独立した返歌(ここでは「戦場ヶ原」への挨拶)のように詠まれた一句、そんな風にも読めそうに思う。

<季語> 雲の峯(夏)
(潔記)
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# by zassoen24 | 2016-04-07 09:57

兄のもの借り裾長し田植寒

昭和16年作。

引き続き「古里にて(十八句)」の一句。
既に面々が書いてきているように、この十八句はいかようにも読み解けそうですが、主軸は、

田植 寒 ほととぎす 兄 嫂

の五つであるように思われます。

ここに〈衣川〉や〈風流〉、〈啄木〉が絡むと一瞬別世界へ飛びますが、すぐにうつし世即ち兄と嫂の空間へたち戻ってくる先生であると思うのです。

中でも兄から日常着を借りて着用し、感想を叙しているようなこの句は、少年めいた顔がちらっと見える気がして惹かれます。
くつろぐために〈旅衣〉から着替えたというより、思っていた以上の寒さに綿入れのような温かいものを借りたように私には思えます。また〈裾長し〉は、小柄では決してなかった青邨先生よりその兄のほうが更に大柄という意味あいで捉えるより、寸法の感覚が自分のものとは異なることを表しているだけの気がしますがどうでしょうか。
子どものころ、父の大きな背広を羽織ったり、母の着物の裾を曳いたりして楽しんだ記憶がありますが、そのときのうれしさは、大人の衣服への興味とか物珍しさというよりも、大きな存在にすっぽり包まれている喜びであった気がします。この〈裾長し〉にも、それに似た感覚を感じてしまうのですが、深読みに過ぎるでしょうか。

親がいない先生にとって、兄と嫂こそが古里とつながるよすがでしょう。
父、母に向けていたかもしれない目差しで、兄と嫂を追う横顔もまた、先生の一面であったように思われてならないのです。(正子)

【季語】田植寒〈夏〉


                              ♪
                              ♪
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# by zassoen24 | 2016-03-15 00:44 | 『露團々』

啄木の映画街にありほととぎす

<ほととぎす>は夏の季語。しかも詠題としては四季の内、夏を代表するほどの有名かつ古くから詩歌に最も頻繁に使われてきた。ちなみに春は<花>、秋は<月>、冬は<雪>。
雪・月・花に肩を並べる詠題なのです。
時鳥も子規も杜鵑も蜀魂も杜宇も不如帰もみな(ほととぎす)と読む。
田植えの時を告げる鳥でもあるし、古くからその鳴き声を愛でる文人の魂を揺さぶるほどの存在でありながら、うっかり屋の鶯に托卵をする卑怯旋盤な鳥でもある。
中国の故事から「冥途の鳥」とも考えれれていた。少々複雑な存在なのである。

さて啄木であるが・・・・
この方も知れば知るほどアブノーマルな天才か?と思われる。26歳で早世したが小学生の教科書にも出ているほど有名な短歌を数多く残している。
御存じとは思われるが
・たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽き(かろき)に泣きて 三歩あゆまず
・はたらけど はたらけど猶 わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る
・友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ
・ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく

なかなか実直な青年を思わせる歌であるが、時に妻子を顧みず遊興のために膨大な借金を重ねて実直とは遠い印象である。しかし金田一京助を親友とし、与謝野鉄幹などとも親しみその人間関係の広さに驚く。
青邨先生は啄木の歌も人生も知っていたに違いない。(啄木の映画)とあるからにはその作品ではなくその人生をさらりと提示している。啄木の歌はこの句のBGMとなって流れてはいるが娯楽である映画となって俳優が演じている啄木の人生と言うところが俳句の味ではないかと思える。映画と言うフィルターを掛け、それが上映されている街と言う場所設定で、さらに啄木の作品を生んだ人生の原動力をフィルターに透かしている。

最後に啄木享年26歳。妻も子供たちも早くにこの世を去っている。ほととぎすが初夏を告げる鳥であり、また冥途の鳥ともいわれていたことを考え合わせるとほととぎすと言う季語がしっかりと句を覆い尽くしている感がある。
十七文字の句に盛り込まれたものの大きさと深さを感じさせていただいた。

季語:ほととぎす   夏          展子

       ◆◇◆◇ □

                          
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# by zassoen24 | 2016-01-30 17:30