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青邨の句集を読む
by zassoen24
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岩木山なほ見ゆ蟲のすだきつゝ

昭和17年作

「津輕城に立ちて―大鰐の増田手古奈君に迎へられ句會(四句)」とあるうちの、第二句。四句をすべて引いてみると、

津輕富士夕焼の雲二三片

岩木山なほ見ゆ蟲のすだきつゝ

一連の鴉歸るや盆の月

闇の中たゞ一輪の蓮を見る

とある。

 津軽富士(岩木山)の夕焼から、日が沈み虫がすだき始め、盆の月が上がり、闇の中に蓮の花が浮かぶというように、津軽城(弘前城)での時の経過が詠まれている。また、色彩の面から見れば、夕焼雲の朱色、岩木山のシルエットの藍色、盆の月の黄色がかった白、闇に浮かぶ蓮の花の薄紅色と、四句それぞれに鮮やかだ。

 弘前城本丸からの景色はドラマチックである。正面に、左右に均整の取れた優美な裾野を引く、まさに津軽富士の名にふさわしい岩木山が、大きくそびえている。眼下には広々とした蓮池があり、夏の終りには池全体が薄紅色の花で満たされる。

 前書きにある増田手古奈君とは、生地・青森県大鰐町で開業医をしながら、俳誌「十和田」を主宰していた俳人。虚子から“東北の俳諧の重鎮”と称されていた。大鰐町と弘前市は隣町なので、岩木山(津軽富士)を詠んだ最初の二句は、この土地および句会の主催者への挨拶句とみてもいいだろう。

 掲句に注目すると、中七の頭の「なほ」と句末の「つつ」が効いていると思う。時の経過を表現する「なほ」と「つつ」を二重に用いることによって、刻々と変わりゆく山の色を見つめながら、虫の音を耳に立ち尽くす青邨先生のうしろ姿が、眼前に浮かんでくる。

季語 蟲すだく(秋)

(ジョニー平塚 記)


# by zassoen24 | 2022-02-07 16:42

露坐佛の御膝田植の泥かわく 

昭和17年作

「みちのくにて(八句)」とある連作中の一句。参考までにすべて書き出してみると、

 門川も裏川も田植濁りとて
 田の中に御佛ゐます田を植うる
 雲の中南部富士あり田を植うる
 露坐佛に子どもはすがる田植かな
 露坐佛の御膝まろく早乙女等
 露坐佛の御膝田植の泥かわく
 露坐佛の田植の泥を流す雨
 露坐佛の植田の中に見え給ふ

 吟行即吟の八句とも見えるけれど、四句目以降、上五がすべて「露坐佛」で統一されていて、連作の眼目が「露坐佛」であることは明白に伝わってくる。その中でも六句目と七句目との間には、少し時間の隔たりがあるように見受けられる。この配列には、何か意味が隠されてはいないだろうか。
 そうして読み始めると三句目までは、共通する季語「田植」が、周囲の情景を大づかみにする導線のように働いて、そのリズムの中で三句目に「露坐佛」が、その後の転調を予告するキーワードのように登場してくることに気が付く。八句全体が例えば〈序破急〉三つに分けられるとすると、ここまでが「序」(といっても、「田植濁り」からすっすっと無駄なく目を転じていかれるあたり、流石に青邨先生だなあと思う)。
 そして三句目以降、作品は一挙に「露坐佛」をメインテーマに展開していく。それにしてもなぜ「露坐佛」なのだろう、それも五句も続けて? それが目の前にあったからと言えば確かにその通りなのだけれど、それだけだろうか。
 田植えの風習といっても、我々にはもう遠いものになっているけれど、ふと思いつくのは、西日本あたりでは確か、一種の神事として扱われていたのではないかということ。神事となると神聖な面持ちがするけれど、目の前の対象を「露坐佛」という<言葉>でとらえたとき、田植えの情景はどんなニュアンスをもって立ち上がってくるだろう? きわめて個人的な感想だけれど、どこか開闢以来の神話に通じる「神」に対して、「佛」となると、こちらが肉声で語り掛けると、あちらも肉声で答えてくれるような、神聖なというより少々泥臭い感じがする。田植に対しても、手は貸さないが後世を、同じ俗世に身を置いて見守る、この世に働く者の身体となにかしら体温の通い合う距離にいて下さる感じがしないでもない。「露坐佛」と発話した時、その言葉が先生を、時に「いぶせく」もある「みちのく」に真直ぐに導いたのではなかったか。「子どもはすがる」「御膝まろく」、そして「早乙女」を配した後も泥の乾いていく「露坐佛」に視点を集中し続ける四句目からの三句は、情景全体への挨拶の起点・メインテーマを、確かな変奏で描き出す、サワリとしての「破」。
 やがて乾いた泥を雨が静かに洗い流し、「露坐佛」は遠景に点じられ、「急」の心持の中で連作が閉じられる。「急」である限り「露坐佛」は、そこに作品が収斂する何かというよりは、作品が外に開かれる拠点のように置かれる。拠点の先に先生が見ておられるのは、前書きの後ろに流れる、先生の心の中の「みちのく」。八句全体はそんな風に読めるのではないか、という気がしてくる。

季語:「田植」夏
潔記

 

 



# by zassoen24 | 2022-01-24 19:52

兄の閑弟の閑ビール飲む

昭和17年作

「文學報國會講演旅行の途次故郷に立ち寄りて(十二句)」と前書きのある中の、9番目の句である。青邨先生が故郷・盛岡に住む兄上のもとを訪ねて、ふたりでビールを飲んだことを詠んだ句だろう。

私はこの句から、縁側越しに庭の見える和室を思い浮かべた。西の空に夕映えが残る、気持ちの良い夏の夕方だ。つまみはあっさりと、茹でた枝豆だけでいい。ひとしきり近況を尋ね合ったあとは、他愛のない会話が途切れ途切れに続いている。

「兄の閑弟の閑」と言っても、青邨先生はこのとき49歳、兄上はおそらく50代で、決して暇を持て余していたわけではない。働き盛りのふたりが、あえて「閑」をひねりだして、酒を飲む時間を作ったのだろう。

仕事に、浮世の付き合いにと忙しくしていても、そんなことをおくびにも出さずに、ゆっくりと時間を過ごしたい相手がいる。兄弟にせよ友人にせよ、そんな相手がいることは、人生の喜びだ。青邨先生が生涯にわたって故郷・みちのくの句を詠み続けたのは、生まれ育った土地への懐かしさとともに、そこに住む兄上をはじめとする人々への懐かしさがあったからだろう。故郷とは、土地であるとともに人なのである

「閑」という簡素な語を、ふたつ重ねただけで、心の通じ合う兄弟を彷彿とさせるのが、この句の力だろう。そこにビールという季語を斡旋することで、心地よい喉越しと、大人になった兄弟の関係の涼しさが、鮮やかに描き出されている。

季語 ビール(夏)

(ジョニー平塚 記)


# by zassoen24 | 2021-08-27 18:42

豆飯や軒うつくしく暮れてゆく

昭和17年作

「軒うつくしく暮れてゆく」。ほーっとため息の出るような余韻、と思う。 
先日たまたま、『桃太郎の誕生』自序に「民間説話の二千年」という一言を見つけてハッとしました。そこからの連想なのですが、それぞれが語り手や聞き手になって過ごす先人たちのくつろぎの記憶の中に、先生が意識するともなく身を置いたとき、自然に出てきた言葉が「うつくしく」なのではないだろうか。そしてそれは、「豆飯」と結び合って、読み手を真直ぐ、夕べのひと時の<涼しさ>に誘い出し、「軒」は寸分の狂い無く、その臨場感を伝えてくれます。生活感情という点で、これほどぴったり「豆飯」が詠まれた句は無いのではないかしら。

 この年もう一つ、「うつくし」と詠まれた句があります。<靖国神社春季大祭(五句)>と前書きのある、
  奉納のすまひうつくし葉櫻に
です。が、詠まれた場所とも関係があるのでしょうか、同じ「うつくし」でも、言葉の選び取られた位相はおのずと異なっているようです。
 
 もう戦火は太平洋に広がって、四月には東京初空襲、六月ミッドウェー海戦、八月には海の向こうでマンハッタン計画が始動する、そんな時代の一句です。

季語「豆飯」(夏・初夏)
潔記








# by zassoen24 | 2021-08-13 11:44

桑を摘む枝をはなさずふりかえる

昭和17年作

桑を摘む枝をはなさずふりかえる

 一心不乱に桑を摘む農家の女。近くを通る青邨先生の気配に気づいたのか、あるいは先生から声をかけられたのか、さっとこちらを振り返った。ただ、振り返る間も、つかんだ桑の木の枝を離そうとはしない。すぐに、桑摘みを再開したいからだろう。

 「文學報國會講演旅行の途次故郷に立ち寄りて(十二句)」と前書きのある中の、4句目に掲げられた句である。十二句には、晩夏から初秋にかけての季語が並び、最後の2句は盆踊りの句なので、青邨先生はお盆前に故郷・盛岡に立ち寄られたのだろう。句集では、その後に「津軽城に立ちて(四句)」が続いており、「盆の月」なども詠まれているので、「文學報國會講演」は、青森県で行われたのかもしれない。

 この句の季語「桑を摘む」は、歳時記では晩春のところに出てくる。桑は春に摘むものなのだろうかと、疑問に思って調べてみると、桑の葉は春から夏にかけて3回、土地によっては初秋も含めて4回摘んでいたことがわかった。

 言うまでもないことだが、摘んだ桑の葉は蚕の餌になる。蚕は桑の葉を大量に食べて繭となり、人はその繭から生糸を取る。桑摘みは、太平洋戦争末期までは、日本中どこの農村でも見られた、ごくありふれた光景だった。蚕は、「春蚕、夏蚕、秋蚕」と年3回飼われていたところが多く、中には「晩秋蚕」を含めて、4回のところもあった。この句に詠まれた「桑」は、晩夏から初秋にかけて育てられる、「秋蚕」の餌にするために摘まれていたのだろう。

 十二句の中に、歳時記上では春、夏、秋の季語が混在しているところを見ると、青邨先生が、そのとき目に触れたものであれば、歳時記の季節にこだわらずに詠み、発表されていたことがわかる。

 ところで、この句は、誰を詠んでいるのか特定していない。「はなさずふりかえる」と仮名で表記されているところから、女性らしい柔らかな仕草が眼に浮かぶのと、桑の葉を摘むのは養蚕農家の女性の働き手だというイメージがあるので、モデルは女性と見ていいと思うが、それ以上のことはわからない。

 だが、モデルが特定されていないからこそ、当時の読者は、自分の知っているあの娘、あの奥さん、あのお婆さんを思い浮かべることができたのだ。そして、養蚕という、どの農村でも目にする営みが、農家の女たちの勤勉さによって支えられていたことに、思いを馳せたのである。それは現代の読者にも、ちょっとした知識さえあれば、充分に伝わってくる。

 この句は、大胆な省略と、「枝をはなさずふりかえる」という的確な描写によって、かつてどの農村にもあった美しい心根を、今に伝えているのである。

(ジョニー平塚 記)

季語 桑を摘む(晩春、ただし、句集上の景は晩夏から初秋)


# by zassoen24 | 2021-07-20 17:02