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青邨の句集を読む
by zassoen24
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みちのくの田植は寒し旅衣

昭和16年作

古里にて(十八句) の前書あり。十八句を記す。

山藤のどの木ともなく懸りけり
衣川田植の水を溢れしめ
畦道は曲り風流田植かな
老びとの一握のみどり早苗取
みちのくの田植は寒し旅衣
山風の水うつて寒き田植かな
人力車吾をのせ走るほとゝぎす
山の町長き橋かけほとゝぎす
啄木の映畫街にありほとゝぎす
兄のもの借り裾長し田植寒
兄と酌む一勺の酒田植寒
郭公が鳴いて嫂起きる氣配
ほとゝぎす鳴く古事記傳讀むは兄
夏蕨奥山の爺もてきたる
兄の家わが少年の靑林檎
郭公のとびゆく一樹糢糊として
文机に坐れば植田淡く見ゆ
嫂がひとり茶を飲むほとゝぎす

ふるさとみちのくには昭和十四年伯林留学から帰った秋に一度「帰省」、翌十五年の五月にも訪れており、それぞれ「歸省」、「古里に歸りて八句」の前書のある作品を残している。
上記十八句には、一年ぶりのふるさと、兄上らとの再会を喜びゆっくりとした時間をたのしむ青邨のすがたが見えてくるようだ。

ほとゝぎすが鳴き、田植がはじまるみちのく。みちのくの五月はまだ寒い。前年詠まれた八句のなかにも、

みちのくの五月の炬燵嫂とあたる

の句が見られる。
「みちのくの田植は寒し」はいつものことなのであろう。五月も末の頃かもしれない。

斎藤夏風氏によれば、青邨が生涯に詠んだ句の中に「みちのく」という言葉を使った句は八十三句あるという。この句もその中の一句。第一句集『雑草園』の序文で虚子が触れているように、青邨にとっての「みちのく」は特別なものであるが、十八歳で上京後年を経るうちに、また伯林留学等で広い世界を知るうちにその思いもすこしづつ変化していったと思われる。

この句にいう「旅衣」は自身の旅衣だろう。ふるさとにいながら自身を旅人と感じていたのだろうか。
ふるさとを離れてすでに三十年を経た身には、親しいみちのくの景もすこし遠いものに感じられるようになっていたかもしれない

みちのくの町はいぶせき氷柱かな
みちのくの雪深ければ雪女郎
            ともに『雑草園』所収

東京で「みちのく」を詠むときの気分と、みちのくにいながらみちのくを詠むときの気分にも若干の違いがあるように見えるが、どうだろう。
兄の家、嫂のたたずまい、・・・ふるさとの景色はかわらずなつかしいものであり、そのように詠まれているが、「旅衣」 の語に立ち止まらせられた一句である。  (銘子)

【季語】 田植 (夏)

♪♪♪
2015年11月3日に銘子さんが書かれた記事である。
青邨にとっての「みちのく」についてのみならず、東京でみちのくを詠むときと、みちのくに居てみちのくを詠むときの違いについても言及されていて、よい鑑賞だと思う。

芭蕉に言わせるとこの世の人はみな旅人ということになるが、この句の「旅」にそういう意味合いは感じとれない。
また、ふるさとの昔のままの光景、懐かしい人々は決して青邨を疎外していないから、
室生犀星が「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と詠ったような嘆きも感じられない。
が、ここは自分のいつもの居場所ではないと青邨のほうからふるさとに対して隔てをつくる感覚が働いているように思われる。
懐かしいがゆえの寂しさが、ひんやりした田植どきの空気とともに、青邨を包むのである。(正子)

           ♪    
             ♪
               ♪







# by zassoen24 | 2019-05-24 00:00 | 『露團々』

うつくしき鶸も囮よ鳴いてゐる

昭和16年作
 前書きに「信州鳥居峠小鳥小屋にて(五句)」とある三句目。

  鳥屋の外夜が明けゆくたゝずまひ
  囮籠いまは明か夜明けたり
  うつくしき鶸も囮よ鳴いてゐる
  御嶽の雪バラ色に鳥屋夜明 
  日が射して鳥屋の女房まぶしがる
 
 「鳴いてゐる」で、眼前の囮鶸だけを描き出し、平仮名表記の「うつくしき」が、群れから離された一羽の「美」の脆さを暗示するように思える。それだけでも十分一句として立つと思う。けれど、生活手段としての「囮」が点描されることで、小屋暮らしの佇まいや鳥刺しの生活感情も、例えば<殺生な生業>であるといった観念先行型の物言いのようには、決して否定的には描かれていないと思えてくる。
 晩秋、北海道から群れをなしてわたって来る鶸を、おそらくは霞網で一網打尽にして売りさばく生業。旅の途上立ち寄った、そうした家の夜明けの一コマ。
 囮鶸だけを正確に描写して、独立した一句としてもすぐれた写生句だけれど、五句連作の流れの中でも要になっている。鶸の渡りではなく、「囮籠のなかの鶸」に視点を移すことで、生活感情をも映し出すことに成功した、優れた旅吟だと思う。
  

<季語>鶸(秋)

(潔記)


# by zassoen24 | 2019-05-13 17:51

山の町長き橋かけほとゝぎす

昭和16年作


 昨年11月の潔さんのブログに続き、「古里にて(十八句)」のうちの一句を鑑賞する。

 この句で、「長き橋」をかけたのは誰だろうか。文脈からいえば、「山の町」がかけたように読めるが、町に橋がかけられるだろうか。橋というものは、町の人の要望を入れつつ、行政が予算を執行し、土木業者がかけるものだ。でも、青邨先生が、お役人や土木業者に思いを馳せて、この句を詠んだとは思えない。古里の山の町への深い思いから、町を擬人化して表現したということだろうか。

 別の読み方もできるかもしれない。この句の主役である「ほとゝぎす」がかけたという解釈である。「ほとゝぎす」のよく通る啼き声が、長い橋の向こうから、まるで声の橋をかけるように届いてくる。その有様を表現するために、「長き橋かけ」という言葉を選んだのではないかという読み方である。


この句を読むと、私は大学3年生の夏休みを思い出す。その夏の間中、私は南アルプスの三伏峠にある山小屋でアルバイトをしていた。その山小屋を経営しているのは、徒歩で半日ほど下った山の麓にある温泉旅館だった。ある日私は、何かの用事で麓の温泉旅館に1泊し、翌朝早く山小屋に戻るために旅館を後にした。旅館の前には、登山道へと続く長い橋がかかっていたが、その日は橋の向こう端も見えないくらい、深い朝霧がたちこめていた。橋を渡ろうとした瞬間、霧の中から透き通るような「ほとゝぎす」の啼き声が響いてきた。この句を読んで、その声をありありと思い出したのである。


 やっぱり橋をかけたのは、「ほとゝぎす」に違いない。(ジョニー平塚 記)


季語「ほとゝぎす」(夏)


# by zassoen24 | 2019-02-03 17:27

山藤のどの木ともなく懸かりけり

昭和16年作

「古里にて(十八句)」と前書きのある、その一句目。
 簡潔な句である。
 うっかり前書きに引かれると、帰省の途次目にした<みちのく>の山の遠景、とも読めるようではある。けれど、やはり独立した一句として読むことから始めて、連作全体について考えるのは、それからでも遅くはない。
「うっかり」と書いたのは、前書きをひとまず省いた、眼前・嘱目の写生句として一句を読む、古舘曹人さんの、極めてオーソドックスな鑑賞(『青邨俳句365日』)に教えられたから。
 氏は、自身の体験として、鹿島神宮の山藤を想起しながら、
<大木の梢から山藤の太枝が巻きつきながら地に垂れている。若し玄冬に来て仰いだとしても枯木の中に山藤をわけることはできないだろう。これに芽が出て、花が咲いたとき、はじめて巨大な山藤と言う事わかる。しかも、周囲の沢山の樹木の中に藤が垂れていると、どの樹から垂れているかはわからない。手に届くところに紫の房がいくつも垂れ、何処からか芳香がただよってくる。>
と記されている。
 つくづく成程と思った。ずいぶん昔、白川の関所跡で出会った山藤の巨木を思い出した。句の仕立てが簡素であればあるほど、読み手の側が自分の具体的な季語体験とすり合わせて句を読むことの、当たり前だけれど、避けるわけにはいかない大切さ。そう思って白河の藤を思い起こしてみると、「けり」の、誠に端正な挨拶振りがジンワリ滲みてくる。古里<みちのく>への入り口(白河とは限らないけれど)に立ってまず、居住まいを正すように挨拶を送る。青邨先生ならではの清潔感、と思う。   <季語>藤  (潔記)        
 

# by zassoen24 | 2018-11-30 18:52

狸穴の谷と称して雨涼し

昭和16年作。

「麻布某茶室にて(四句)」と前書があります。

  坂一つ間違へ梅雨の狸穴へ
  狸穴の谷と称して雨涼し
  茶室いま下闇雫軒雫
  踏石を三つ四つわたり涼しさよ

梅雨のある日、麻布へ茶会に赴かれた青邨先生は、どうやら一筋たがえて〈狸穴(あみあな)〉へ迷い込んでしまったようです。
〈狸穴〉は現在も港区麻布に残る町の名ですが、知らずに読むと狸の巣のようで妖しい気分になります。
昔、江戸城の大奥を荒らし回った古狸が、ここらに棲んでいたとかいなかったとか……。
古い地名にはそうした話がつきものですが、実際狸の穴の一つや二つ、あっても全く不思議ではありません。
昭和の初期に「ソ連大使館」が移転してきてからは、ソ連大使館の隠語として用いられるようにもなっていたそうです。
ときは昭和16年。
狸よりそちらのほうが不気味であったかもしれません。

無事狸穴を抜けて某茶室へ辿り着いた青邨先生。
涼しくお茶を召し上がったようです。
狸に化かされたのでなければよいのですが。(正子)


【季語】梅雨〈夏〉

                       ♪
                       ♪
2015年8月15日に私自身がUPしたものである。
「ソ連」・・・昔の地図にはあったなあと思いながら書いた記憶が蘇ってきた。
狸が穴の奥から、外の雨の帳を見遣って「雨涼し」と呟いているような、とも思った。
実際の茶室の広さは不明ながら、「茶室」からはごく小さな空間を連想する。
道に迷って焦ったのち、茶室に納まり、今はほっとしている青邨先生の感慨、であろう。
(正子)

# by zassoen24 | 2018-11-04 23:08 | 『露團々』